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Hug育(はぐはぐ) 育児は育自

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●フィリピン旅行記2

この日(12月23日)は、午前4時50分起床!
昨晩は蚊に歓迎されたため、手や足は無数に腫れている。

5時からの教会での早朝ミサに参加。
7百人ぐらい入れる教会は満員で、子どももかなりいた。
さすがカトリックの国!

ミサが終わると人々がドッと町なかへあふれ出ていく。
アッという間に町の中は人人人。
ジープを改造した小型バスの「ジプニー」があわただしく走り回る。
ポップコーンやパンを売る屋台が出る。

この日は海と山に囲まれた高級リゾート「プエルト・アスール」を訪れる予定を急遽変更。
第二次世界大戦での日米両軍の激戦地だった「コレヒドール島」へ向かう。

往路の水中翼船のものすごい揺れようったらありゃしない。
大揺れもいいところ。
まるでメリーゴーランドの回転を2倍にしたみたい・・・
そんな状態が1時間ほど続いた。

朝食直後ということもあってか、一行の中で船酔いをする者もポツポツ。
船酔いをした仲間のところへ、マリンガールが、ウチワと酔い止め薬を持ってきてくれた。
これほどまで揺られて苦しんで、何を見なければならないのか・・・
もう恨めしくてならなかった。

オタマジャクシのような形のコレヒドール島は、面積5平方キロメートル。
日本軍の大砲もあれば、アメリカ軍の大砲列も残っていた。
破壊された分厚いコンクリートの壁。
数キロにもおよぶ三階建てのアメリカ軍兵舎の残骸。
奥行き3キロほどある地下要塞。
日本軍兵士の墓地もあった。
「つわものどもの夢の跡」というには、あまりにも生々しすぎる感じ。
島全体が大切に保存されていて、さながら「戦争博物館」そのものだ。

日本軍兵士の墓標の1つに真新しいお札がかけられていた。
「昭和56年12月 広島県・・・」
私たちの何日か前に訪れたものだろう。
お札の最後に記された名前が妙に痛々しい。
訪れたのは戦死者の兄らしい。
このお札を目にしたみんあの表情は沈んで暗かった。

近頃、軍拡、核問題がひときわ世間の注目を浴びている。
今まで私たちは「関係ないワ」と軽く考えていたのだが、
このコレヒドール島に来て、平和のありがたさを改めて痛感した。
ここでは歴史が生きている。
そして私たちの目を、心を、平和へと、いやでも向けされてくれる。

島の中で私たちの行くところ、行くところ、いつも一足先に来ているのがアメリカのツアー。
いまここにアメリカ人と日本人、かつて砲火交わした両国の人間がそろったことになる。
この事実をアメリカはどう受け止めているのか、ぜひとも聞いてみたいと思った。

「もう2度と戦争を起こしてはならない・・・・・」
戦争を知らない年代の私たちでさえ、つくづくそう思った。

島にはハイビスカスをはじめ、名も知らぬ色鮮やかな花々が咲き誇っていた。

さまざまな思いをそれぞれの胸に秘め、私たちは船着場に戻った。
あくまでも澄んだブルーの海。
みんなの顔にはいつの間にか笑顔がよみがえっていた。
大揺れの「苦行」を覚悟して帰りの水中翼船に乗り込む。

仲間のTさんの隣の堰にはアメリカ人の観光客の親子。
その息子さんの方が彼女に「気分が悪くなったらこの中へもどしなさい」
と、自分のバッグを広げて差し出し、
彼女が汗をかくと、すかさずマリンガールに濡れたタオルを持ってきてくれるように頼む。
さらに彼女の座席が狭いだろうと、自分は通路に立って席を譲る・・・
それが何とも自然なのだ。
船揺れに弱い彼女に代わってミッコが「サンキューベリマッチ!」

船酔いをしながらもTは軍人だったというアメリカ人の父親の方に
コレヒドールについての感想を聞いてみたそうだ。
「戦争は二度と起こしくない。この悲劇は二度と繰り返してはならない」
そして最後に「アイ ラブ ジャパン」と言ってくれたという。

アメリカ人も日本人も同じ血の通う人間同士。
平和への願いは共通であることを改めて知った。



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